旅先で想ったこと 恐山

恐山を旅して   賽の河原地蔵和讃  


お地蔵さまがお救いした賽の河原のおさな児達 恐山 西院の河原稚児御和讃から

 何と慈愛にあふれたお地蔵さまのお顔だろう。 

苦しんでいた賽の河原からお救いになったおさな児達を、今は極楽浄土でお地蔵さまが
父となり母となってお育ちになっている。おさな児達は、あどけなく、少々わんぱくぽく、
幸せいっぱいの顔をしている。眺めていると思わずずほほえみたくなる。

これこそ本来のおさな児の姿である。

      恐山 宇曽利山湖畔 極楽浜に建てられている地蔵菩薩像

                                                           2012年8月22日                                                                                         

 私はいま、本州北端下北半島「恐山賽の河原」に立っている。

 一面に硫黄臭気が漂い、岩肌を黄白に染めている。草木の生えない荒涼とした瓦礫の地である。あちこち地獄と称する場所からは噴煙が上がっている。

 北国の、夏はもうすぐ終わりというのに、遮るもののない白色の荒地に、太陽は情け容赦もなく照り付け、熱線を射して地面を焼き、照り返しと地熱は辺りを包み、噴煙を一層誘っているかのようである。まさに熱地獄の様相である。暑くてとても留まっていられない。現地の人々は、ここ2日は、こんなに暑い日は今まで経験したことがない、初めてだと言っていた。

 いたるところに積まれた卒塔婆。立てられている風車、赤い帽子や涎掛けやちゃんちゃんこを身にまとったお地蔵さま。よく知られた恐山の景色である。ここにいて
「賽の河原地蔵和讃」を思い浮かべている。こんなところで、幼くして命をなくしたみどり児たちが苦しみ苦行をしているのか。涙をこらえることができなかった。

 

 仏教には、仏や経典などを褒め讃える讃歌がある。おそらく仏教が生まれた古い時代に布教のため、解り易い詠歌状にして生まれたものであろう。サンスクリット語
(梵語)や中国語で書かれたものもあり、日本語で書かれたものを「和讃」という、五・七調で書かれ、覚えやすく詠いやすい。和讃と詠歌を一緒にして「ご詠歌」と呼んでいるようで、現代に至るまで各地で長く詠い継がれている。

 よく知られている和讃の一つに「賽の河原地蔵和讃」がある、地蔵信仰の布教のため地蔵尊に対する感謝の意をわかり易く讃歌 にしたものである。

 これは仏教史からみると、新しい時代に生まれた日本独特の和讃であると思っている、おそらく平安時代か鎌倉時代に、民衆の間でのお地蔵さま信仰に伴って生まれた和讃であろう。内容については地方や出所によって少々違いがあるが、いずれも賽の河原で苦しむみどり児達の様子とそれをお救いになるお地蔵さまの話が語られ、お地蔵さまを讃えている。和讃の傑作と言われ、全国的に詠われている。

みどり児達の様子があまりにも痛ましくて読むに耐えられない。どうして純真無垢なみどり児達がこれほどまでに苦しまなくてはならないのか、何の罪もないのに。

親より早く去ったみどり児達は三途の河を渡って成仏できずに賽の河原に集まりさまよい苦しむと言い伝えられている。これは、早く去ったので善行が出来なかったことや、親孝行ができなかったこと、親に深い悲しみを一生背負わせたことが理由のようである。

 

みどり児たちは、けなげにも父母に侘びながら、手から血を流しながら石を一つ一つ運んでは積み上げ卒塔婆をつくる(卒塔婆を作れば供養・功徳になると伝えられている)。折角出来上がっても、地獄の鬼が来て、「こんなゆがんだ塔を作っても功徳にならぬ、積み直して成仏を願へ」と黒金棒で打ち壊してしまう。泣きながらまた一からやり直す、永遠に完成しないのである。

時には三途の河面に親の影がうつり、助けを求めすがりつこうとしても幻と消え、河面は燃え上がり炎となってしまう。泣きながら自分たちの悲運を嘆き悲しんでいるとき、西の方から光が輝き、地蔵さまが現れる、助けを乞いすがる児達に、

「みどり児達よ、どうしてそんなに嘆くのか、汝達は命短くして冥土へ旅に来ただけなのだ、何も嘆くことはない、ただここは冥土、娑婆にいる親には会えないのだ、我を父母と思いなさい」とさとし、子達を一人一人抱き上げて、やさしく撫でては、御衣の袂や袖に抱き入れて、いまだ歩けぬみどり児達を錫杖の柄に取り付けて、三途の河を乗り越えて浄土へと導かれて行く。

痛ましく悲しい話であるが、唯一お地蔵さまに救われるのである。

有り難や南無大慈大悲の地蔵尊大菩薩といった讃えの言葉で締めくくられている。

今は知っている人も少ないが、明治や大正生まれのお母さんやお婆さんたちに教わったという人も多いと思う。

 地蔵和讃が生まれた背景は、当時は幼児の死亡率は大変高かく、嘆き悲しんだ親は大変多かったであろう。現世と冥土を往き来されるお地蔵さまを信仰し、冥土で健やかに居られるようお地蔵さまに宅したのである。

一方、間引きが行われたていた時代が長く続いていた、みどり児を大切にという親への強い戒めでもあったのだろう。

 お地蔵さまに救われるにしても、何の罪もないみどり児達にはあまりにもむごい業であり、親にはいたたまれない語りである。いくら地蔵信仰布教のためとはいえ、少々やり過ぎのように思えてならないない。そのような反省もあったのだろうか、近年むごい箇所を削り、筋書きも改められた改訂版が広く詠われているようである。


  現在恐山で詠われている「賽の河原地蔵和讃」は、「西院の河原稚児御和讃」と称し、地元の案内や名産品パンフレッドの隅に全文が載せられている、録音したCDも売られている。先述のようにむごい箇所を削り、筋書きも改められれいると聞いたが、それでも読むには痛々し過ぎる。


恐山 「西院の河原稚児御和讃」   12節で構成されている、長くなるので
                 その一部を引用する

 是は此世の事ならず   死出の山路の裾野なる

 西院の河原の物語り   聞くにつけても哀れなり

 以下中略 

 西や東とかけめぐり   手足は血汐に染め乍ら

 父上こいし母こいし   恋し恋しと叫べども

 影も形も見えざれば   泣く泣く其の場に打ち倒れ

 慕い焦がるるふびんさよ げにも哀れな幼児が 

 河原の石をとり集め   これにて回向の塔を積

 一重つんでは父のため  二重積んでは母のため

 三重つんでは故郷の   兄弟我身と回向して

 昼は独りで遊べども   日も入相のその頃に

 地獄の鬼が現れて    つみたる塔を押崩す

 又つめつめと責ければ  幼児余りの悲しさに

 紅葉の様なる手を合せ  許し給えとふし拝む

 折しも西の彼方より   光明輝き尊くも

 大慈大悲の地蔵尊    以下中略

 幼き者をみ衣の     袖に抱えて撫でさすり

 育て給えば幼児は    今はみ親のふところに

 こころの儘に喜びて   楽しみ尽る事ぞなき

 南無有難や六道の    能下の地蔵大菩薩

   いとけ無きわらわの為に父となり

   母ともなりて  救うみほとけ  

恐山「西院の河原稚児御和讃」の道順

賽の河原におさな児達が積み上げた小さな卒塔婆(恐山では、回向の塔と呼んでいる)。

親達が石を運び、おさな児達の手助けをしている。私も石を運ぶお手伝いをした。

多くの風車が立てられていたが、7月末の大祭で取り除かれるそうである。

賽の河原でお地蔵さまに救われているおさな児達

お地蔵さんに、おさな児の遊び道具として託した風車、涎掛け、帽子、ちゃんちゃんこ。

親達は、唯一この世とあの世を往き来するお地蔵さんに、涎を垂らしていないのか、寒く
はないのか、遊び道具はあるのかと衣服やおもちゃを託するのである。風車はおさな児
が残した形見であると伝えられている。
辺りには卒塔婆が積まれている。

恐山では西方の宇曽利山湖のほとりに、「極楽浜」という極楽浄土がある。

白く綺麗で浄らかな砂浜である。

お地蔵さまに救われたおさな児達は、ここで お地蔵さまが父母となってお育ちになり、
喜びあふれ幸せに暮らす。

日本各地に多く賽の河原と称される場所がある。洞穴や火山の名残の石だらけの地である。お地蔵さまが祀られ、石が積まれている(卒塔婆)。

 親達が石を運び、卒塔婆をつくる手助けをして、お地蔵さまに救いをお願いし、やがて冥土に行った時、わが子の傍に行けるようお導きを願うのである。

親の切々たる思いと願いが込められている。このようなお地蔵さまの信仰が今日に至るまで連綿と続いている。

 卒塔婆(そとうば)  サンスクリット語(梵語)で「塔」の意味。

 回向(えこう) 仏教の語で、自ら修めた功徳を自らの悟りのために、または他者の       利益のためにめぐらすこと(広辞苑)。 ここでは、家族と自分の幸せを願う      と解釈してよいと思う

恐山

 

 862年 慈覚大師円仁 により 開山されたと伝えられている。

円仁が遣唐使として唐で修業中に、夢に現れた聖僧が「日本東方に地獄の様を呈し万病に効く温泉の湧いている霊山がある、ここにお堂を建て、地蔵尊を本尊として仏事に励むよう」と告げた。目が覚めた時、一巻の地蔵教が置かれていた。円仁は帰国後東北地方を行脚し、お告げの場所恐山を発見した。

お堂を建て地蔵尊一体を刻し地蔵教を納め仏事に励む霊場とした。

 寺名 恐山菩提寺  本尊 延命地蔵菩薩 


恐山、比叡山、高野山 は日本三大霊場 と言われ、恐山は地蔵信仰の中心地である。

恐山 山門

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