念仏淵のお地蔵さま


川の本流に小さな支流が合流している場所があった。そこを念仏と呼んでいた。
直径20メートルほどの丸い池のような形で魚がよく集まる場所であった。
何も分からずに、念仏へ釣りに行こうと言って誘い合ってよく行った。
特に幼いころは、釣り好きの兄によく連れて行ってもらった。

高校に行くころなぜ「念仏」と言われているかよくわかった。
伝え聞くところによれば、昔から幼い子供が魚取りに遊びにゆき、溺れ死ぬ場所であった。
誰となくそこを「念仏」と呼ぶようになったということであった。
そういえば周りは一見浅く見えているが、中心部はにごっていてよく見えなく、
急に深くなり、すり鉢の底のような形で子供の足は立たない。

私が高校に入学したばかりのころであった。念仏で幼い兄弟が抱き合ったまま水死体で
発見された、魚取りに夢中になり弟が深みに引きずられていった、兄は助けに行き
このような姿になった。幼い2人兄弟はお母さんが一人で育てていた3人の家庭であった。
一週間ほど後、お母さんは自宅で自殺死体となって発見された。私の家から歩いて4分足
らずの小学校通学路のすぐそばであった。

あまりにも痛ましく悲しい事故であったので、地元の篤志家が供養のため自費で子供の等身
大のお地蔵さまを念仏の土手上の道端に建立した。


 最近、そこを訪れた。念仏淵があったところの一帯は護岸のためコンクリトで固められ、
お地蔵さまの道は舗装され、念仏の丸いすり鉢は消えてしまい跡形もなくなっていた。
お地蔵さまがいない、どこに行ったのだろう。移設されていた、本流の土手に祠が建て
られ安置されていた。祠に入った、碑文に痛ましい事故のことが書かれていた。
手を合わせお辞儀をし、昔を思いだしては涙をこらえることができなかった。



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