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餌場の小鳥たち                                            

庭に簡単な餌場を作った。木の皿を支柱の上に載せたような形だ。

パンくず、ごはんつぶ、果物を入れておく。

まずスズメが寄ってきてごはんつぶを食べ始める。そのうちヒヨドリが

絞るようなかん高い鳴き声をあげながら現れる、雑食で何でも食べるが

果物を選んで食べている。食べ終わると高い枝に止まって見張りを始め、

他の鳥が近づいてくると攻撃をかけ追っ払っている。こんなときでもツグミ

は気にせずに悠々と食べている、ヒヨドリよりおっとりしているようだ。

オナガは定期的に集団でやってくる、大変姿がよく色も綺麗であるが鳴き声

 は似合わず「ゲーゲー」と雑音に近い大声である、さすがのヒヨドリもこれ

 には逃げてしまう。

オナガを雛から育てた人の話では、大変飼い主によく馴れ可愛いそうで、

 でも例の大声で鳴きまくり、騒々しくてたまらないと言っていた。

オナガはカラスの仲間で頭が良い。カッコウやホトトギスはモズが少なくなっているので、

托卵の相手をオナガに求めているようで、大きな被害にあい

 数が激減している地域もあると聞いている。しかしオナガは賢いので学習をして
 
 巣に産み付けられた卵を排除する能力も付いてきているようである。

 オナガは関東地方ではよく見かけるが、どうした訳か西日本では見たことがない、

 特に西日本の環境で生育しにくいといった条件はないように思えるが以前は広く分布

 していたようである、減少が心配されている鳥である。

 注 托卵

 カッコウやホトトギス(同じ仲間)は自分で子を育てない。親の留守中巣の中に素早く

卵を1個産み付け逃げてしまう。モズがよく狙われるそうである、孵った雛は、ひとま

わり大きく残っている雛や卵を巣から落としてしまう、親は他人の子とは知らず、

自分より大きくなっても餌を与え続け巣立ちまで育ててあげる。

私は、カッコウやホトトギスの鳴き声を聞く度になんだか割り切れない気持ちと、自然の

掟というか厳しさを感じている。


餌場とネコ ネコについて少々      

 小鳥は餌台からのこぼれにもよく集まってくる、ムクドリが4〜5羽降りてきた。

着地した瞬間、繁みに隠れていた大きなトラネコがすごい跳躍で飛び掛った、口にくわえ、

鋭い目つきであたりを見渡し、ぱっとひる返って再び繁みの中に消えていった。

あっという間であった。それ以来小鳥の餌場を撤去した。

 以前十姉妹を飼っていたとき、近所の奥様が自慢のシャムネコを伴って遊びにきた。

急にバタバタとおびえだした、何だろうと振り向くと、いつの間にか鳥篭に近づき、

怪しく光る緑の目でじっと睨んでいた、なんだかキョットした。

 猫は数千年の間、人によって飼われ交配を続けられてきた、しかし習性はほとんど

原種と変わっていなく、野生の肉食獣としての性質がそのまま脈々と受け継がれている。

 また芸を覚えようとしないことでもよく知られている。自己主張が強く人の言うことを

聞かないのが原因といわれている。

高校時代生物学の先生から、三味線に合せて踊る猫の話をお聞きした、芸を覚えたのではなく

条件反射運動だそうである。まず猫を鉄板の上に後足がくっ付くように吊るし、鉄板を少しずつ

暖めてゆく、だんだん熱くなって足踏みを始めたとき、三味線を弾き何度も根気よく繰り返す。

今度は三味線を弾いただけで、条件反射の作用で踊り(足踏み)を始めるそうである。

条件反射作用で動物がある行動を無意識におこすことはよく知られているが、

この猫の場合、真偽のほどは分からないが、芸を覚えようとしない一例になるであろう。

最近ミャンマーへ旅行した、「ガーベージョン寺院」通称「猫寺」を訪問した。

立派な仏像が置かれている板張りの本堂に、子猫が数匹とお坊さんが居る。

お坊さんが猫の前にリングをかざすと、じっと凝視しているがそのうちピョコンと

跳躍をしてリングをくぐる、褒美に固形の食べ物をもらっていた。簡単な芸であるが

どうして仕込んだのか聞きたかったが機会を逸し残念に思っている。

テレビでも猫が簡単な芸をするのを見たことがあった、またインターネット上で芸する

猫の話が多く報告されている、努力して教えれば可能なのであろう。

しかしトラやライオンなど同じ仲間の大型動物が周囲が燃えているリングを飛び抜ける芸が

あるが、見ていて迫力満点である。たとえこれを猫にやらせたとしてもピョコンと飛び抜ける

程度で大したショウにもならなく、芸を教え込むメリットはないようである。

 

猫にいたずら        

 ザルを買い替えるというので捨てないようにと2つ貰った。直径25センチの

金網製だ。2つを口の部分で合わせ針金で纏り球形状とした。

 私はよくデパートで新鮮な魚をまるごと買い、さばいて料理をする、さしみや

酢付けにして一杯の肴にするためである、夏から冬にかけては、鯵をおろし、

庭に実っている柚を採って搾り汁と皮のスライスで味をととのへ、ワインの肴にする。

近くにポートワインソムリエコンテストで日本一になった方がおられ、お招きして

ワインを飲んだとき、「絶品」とお褒めいただいたことがある。

 テレビでソムリエが、酒をおいしく飲むためには、自分で時に合った肴をつくれ

と言っておられたがそのとおりである、よく実行している。

 こんな訳で魚をまるごと料理する機会が多く、使えない頭、腹、骨は猫に与える

ために、トレイにのせ夕方庭の片隅に置く。朝方にはあとかたもなくなっている。

このようなことを2〜3回続けると、その場所に猫がやって来て見張りを

するようになり、他の猫が現れると、背中をまるめ唸り声をあげながら

すごい剣幕で追っ払ってる。

 さて、先ほどの球形ボウルの中に魚のアラを入れ、紐を付け、一端を木にくくり

つけた。早速猫がやって来て、なんとか手を入れて魚を取り出そうと四苦八苦を

始めた、手がもう少しというところで入れないような隙間に調整してある。

舌を突っ込んで汁を舐めたり、なんとか手をいれようとボウルを回転させたり、

大変な努力を続けている。

いつあきなめるのか1時間以上は眺めていただろうか、とうとうこちらの方が

根負けしてしまった。

 しばらくして再度ながめてみると、猫はいなく、とうとうあきらめたかと思って

いた矢先、のこのことやって来て同じ動作を開始した。なかなかの執念である。

 一夜明けた、猫がいなく何もなかったように静かであった、ボウルを開いてみると

魚は無傷で残っていた、取り出して外に置いた。15分ほど目をはなしただろうか、

魚はあとかたもなくなくなっていた。きっとさっきの猫であろう。



  鳥については、もっと多く書きたいことがありますが一旦閉じて、次からは旅行紀行として

  旅先で感じたことを述べさせていただきます。

               

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