平成29年5月12日の朝日新聞天声人語欄に、南方熊楠について異才天才・変人奇人伝説の一部が紹介されてい
た。 私が生まれた時はまだ存命であった。母の背中で会っているかもしれない。
熊楠の住家(現在 南方熊楠
顕彰館とそして保存され開放されている)は、私の家から直線距離で100メートルに満たない、しかし道順を聞か
れると絶望的である。細いT字の路地を7曲がりしなければならない。郵便局、市役所、病院、税務署、登記所等も
同じ方向で、紀伊田辺駅からここまで歩いてきたのだろう道順を聞かれることが多く、教えようがないので分かる所
まで案内し、よく感謝されたものだ。いまは一本道が貫通し、その必要はなくななった。
当時、自宅前の道は南北に通っていて、幅は比較的広く(以前は細い小路であったが)南に300メートル程で海
に、北に500メートル程で丘陵地帯に突き当たる。夏の夕凪時はじっとりと汗がにじんでくる感じで、過ぎると
涼しい山風が海に向かって通りすぎる、縁台を置いている家が多く、夕涼みをしたり、奥様やお婆さん達の会話の場
になっていた、碁や将棋を楽しんでいる人も多く、有段者もいてなかなか盛んであった。熊楠が通り過ぎることがよ
くあり、近所の方々は直接会う機会が多かった。 天声人語に「全裸の熊楠さんに追いかけられた」とあるが、
私が直接おばさん達から聞いた思い出話によると「熊楠さんが〇〇〇をほおり出し、ぶらぶらさせながら歩き回わる
ので娘たちの教育に悪い」といった具合であった。暑いのが苦手の多汗症と聞いているが、夏はいつも褌一枚で過
ごし、涼しい場所を求め時々全裸で出歩いたそうである。
話はそれるが、時代がもう少し進んで、この縁台囲碁について、近所おじさん達の話では、故囲碁名人や本因坊の
高川秀格氏、(実名高川格、実家は私宅から200mに満たない)幼少のころ、まだ鼻たれ小僧だった格さん(そう
言っていた)、通り掛かりに縁台囲碁の途中を一瞥して「おいやんあかな」(おじさんもう駄目ですね)と予告
したという話も何遍も聞かされた、幼少の頃から囲碁の神童であったのだろう。
話を熊楠に戻し、奥様は上品で貞淑な方で、2人の子供のよき母として、身勝手変人奇人の夫の熊楠を献身的に
支えたな女性であった。熊楠も良く解っていて、知人に自分はこのように生きておられるのも奥さんのお蔭と話し、
非常に愛していた。芸者を挙げて飲むのが大好きであったが、奥様一筋の男性であった。しかし奥様逃げだして実家
に避難することが度々あったそうで、普通の旦那様であれば、詫びて迎えにくるのであろうが、熊楠は家の前に立ち
日記帖を広げ、初夜の様子や、奥様との行為の様子を詳細に大声で読み上げたそうで、奥様は恥ずかしさの余り、
折れて戻ったという話もよく聞かされた。(この地域は一つの閉鎖社会のような環境であり、奥様の実家はすぐ近く
歩いて10分くらいであるので、その場に居合わせた人から、すぐに伝わってきたのだろうが、その際、面白可笑し
く尾ひれがついてきたいると思う、やはり近所の人の話では、大変この方面でも探求心のお強い方で、余りにも色々
なことを求められたので、たまりかねて実家に避難したのだとか、奥様との行為については欠かさず、いついく日ど
ういう体位でどうしたか、その時の奥様の様子や反応をこと細かく日記に付けていたそうある)。
粘菌についての表現が面白い「春画に見る淫水のようなものが滴下している、・・・その辺にあった大きな樽の栓
を転がしこの淫水様が栓に這い上がった時・・・」普通の人なら、粘液が糸を引いて垂れているといった表現になる
だろう。神社合祀令により、鎮守の杜や山の古木神木が切り倒されるのをみて、嘆いた表現に「たちまち毛のない婦
人の陰部のようになってしまった」女性の陰部に例えた表現が多い。
半陰陽にも強い興味を示していたそうで、数千人に1人現れると言われているが、そのような噂を聞くと、その人を
訪ね、乳房や性器を見せてほしいと依頼したそうである。
粘菌と半陰陽に強い興味を示しているのは、私は熊楠の思考の原点であると思っている。それは、熊楠曼荼羅で
言う「萃点」に位置しているからであろう。つまり粘菌は動物と植物の交点、半陰陽は男性と女性の交点である。
例えば、男性と女性にていては、まず共通点を徹底的に探求し、すれは「愛」とか「煩悩」などであろうか、
それから解剖学的な違いへと論を進めて行く、このような学問体系を求めたように思えてならない。これについては
南方熊楠その5 南方曼荼羅 を参照願いたい。
ある古民家で見たことのない壺を見つけ、主人に何に使うのかと聞いたところ「嫁さんをもらった時、初夜を過ご
す部屋に綿などと一緒に置き、事が終わったら拭ってこの壺に入れておく、後で処女であったかどうか判定する,そ
の用途に使うものだ。」であったが、流石にこの壺についてはご存知なかったようである。