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南方熊楠その5 南方曼荼羅


   熊楠の自然観・宇宙観

 東洋的仏教哲学を礎に、独自の自然観を持っていると思われる。森羅万象すべてに、それがたとえ路傍の石であっても、「霊」或いは「魂」を

有している、これらが複雑な絡み合って自然界つまり宇宙を構成している。南方曼荼羅と言われる曲線で表現している、これは立体構造で、

曲線は互い「縁」で結ばれ、交点を「萃点」(すい点)と定義している。南方曼荼羅と萃点については、鶴見和子先生初め多くの先生方が

著書でとりあげられている。



                    南方曼荼羅図





 私は、熊楠の研究の全ての原点は「萃点」から展開しているように思う、非常に壮大な視野を持って物事を観ているのである、古代仏教思想を

色濃く持つ東洋思想と西洋の合理的近代科学思想の統合を試みているようにさえ思える。視野が大き過ぎ、論じる事象が膨大になり、論理的な

まとまり或いは結論に達しない事も起こり得るだろう。萃点からの論理展開体系の完成は、熊楠の一生の課題であったのだろうが、超人といえ

どもその体系の完成には至らなかったのであろう。

南方曼荼羅は、未完ではあったが、西欧近代科学の論理と、古代仏教の論理とを統合することによって、自然現象や社会現象を捉えようとする

論法を創出しようという壮大な試みであった。私はこれは、熊楠の全知識を総合して古代東洋思想が近代科学的な西洋思想に決して劣らない

ことを主張したのだと思っている。


 熊楠のロンドン時代ニュートン力学が隆盛を極め、必然性の線上で論理を探求し、結論を導き自然現象を解き明かしていった。必然性の対偶は

偶然性である。東洋思想では、必然性は「因」、偶然性は「縁」であろう。熊楠は自然現象も社会現象も必然性と偶然性の両面から捉え

解明してゆかないと真実に到達できないと考えた、その出発点は「因」「縁」の交点つまり「南方曼荼羅の萃点」からであろう。

 熊楠が、偶然性を科学の方法論に欠くことのできない要因と認識したのは、科学史の上でもかなり早かったといえる。 但し、欧米にもほんの少し


熊楠より早い時期に、偶然性の考えを自然科学に導入して論理展開をするべきであると主張した学者も現れていた。



 南方曼荼羅図で一本どれとも交わっていない線「ル」がある。当初、私は偶然性からではなく必然性からのみで論理的に展開・結論に

至る西洋人の得意とする分野のようなもと思っていた。

 例えばユークリッド幾何学、

これは高校で勉強した数個の公理「直線の公理:2点を直線で結ぶことができる 平行線の公理:直線外の一点をとってその直線に平行な直線は

一本あって一本しかない」 といった具合から必然論理を展開し、いかなる複雑な定理を導こうとも、公理を外れることはなく完結させた学問

である。


 もう一例 ニュートン力学

ユークリッド幾何学と同様公理のような原則:作用反作用の法則、慣性の法則、加速度の法則、引力の法則 等から、力学の全容が解明できる。

例えば、太陽系の惑星の運動 日食・月食についての予想は秒単位以下・観測される場所の正確な決定等圧巻である。


 上記2例は萃点の持たない「ル」のような線と思っていたが、とんでもない間違いであった。


 ユークリッド幾何学においては、平行線の公理は、数学上正しいかどうか証明出来ないのである。そこで数学者はこれを証明するために、「直

線」に平行な線は @無限にある A一本もない と仮定して論を進め、もし矛盾が出れば、平行線の公理は正しい証明になると考え論を進めた。

結果は、@、Aとも何の矛盾もなく完全な幾何学体系を構築することが出来た。これが非ユークリッド幾何学である。これらの萃点は平行線の

公理であろう。

 ニュートン力学においても、その体系から説明できないことが多く現れてきた。ニュートン力学を論じる座標系「ガリレオ座標系」で如何なる

現象を論じても或いは観測しても、例えば一旦1秒と観測された時間が0.9秒に変換されたり、1sの質量が0.9sに、1mの距離が0.9mに

短縮されたりすることは絶対にあり得ない、しかしこのようなあり得ないはずの現象が実験上多く観測されるようになった、ニュートン

力学では論じ得ない現象である。これらを論じるために新しい概念の座標系「ローレンツ座標系」が生まれた。実例として、ある原子核が光の

速度と比較できるような速い速度で飛んできて他の原子核に衝突した時、お互いが破壊してかけらが飛び散った様子を論じるような時は

ローレンツ座標系で論じなければ解明できない。ローレンツの理論はアインシュタインの特殊相対性理論の時間・空間論の要となっている。

 もう一例であるが、電子や中性子のような微小物質になるとニュートン力学では論じ得ない現象が現れる、例えば電子の存在する場所をP点

としよう、ニュートン力学では3次元座標でP点(Xp、Yp、Zp)と場所を一点に特定する。しかし現実、このような手法で一点Pを正確に

決めようとすると、すればするほど暴れ回る、つまり運動の量が大きくなってしまう、理論上場所をピタリと固定すると運動量は無限大に

なってしまいどこの場所にいるか不明となる、「不確定性理論」といって、電子のような微小物質はP点近傍のどこかにいるような確率で論

じることになる。量子力学という新しい分野の理論へと通じるものである。

 ニュートン力学、相対性理論、量子力学の線は萃点で交わることになる。

熊楠の在英時代は、ローレンツ座標系や量子力学が生まれようとしていた黎明期で、多くの関係論文が発表されていたと思う。熊楠も多分目を

通していただろう。 

 南方曼荼羅上の何処とも交点を持たない線「ル」について、私が考えたことをくどくど述べてしまったが、結局は私の考えは間違っていた、

熊楠はそんなことは分かっていたのであろう。正しくは「未知の世界」だそうである。
  
南方の思考は現代に通ずる、あるいはさらに先を行っているのであろう。



 東洋的仏教哲学の深い知識とそれを英文に訳することについて英国でのエピソードをインターネット上で見つけた。

ロンドン大学総長で日本文化や文学について英国第一の学者フレデリック・ディキンス卿も若き熊楠の活躍を評価して、総長室に招 いた。

ディキンス卿は書き上げたばかりの「英訳 竹取物語」を若き熊楠に見せた。内心どうだお恐れ入ったか、と得意満面であったに違いない。

熊楠はすぐさま原稿を読み、解釈のおかしな点、間違っている点を尽く指摘した。おそらく今までは誰一人としてディキンス卿の権威に

抑えられ、反論する者はいなかったのであろう。激怒して大声で、「暴言である、無礼であろう、日本ごとき未開国から来た野蛮人に何が

わかるか、英国の長老に礼を尽くすことも知らないにか」といった具合であった。熊楠も全くひるむことなく、「日本人が礼を尽くすのは、

相手が正しい年長の方に対してだ、我が日本の古典文学を正しく理解せずに間違った訳を指摘され、反省も訂正もしようとせず、怒鳴りつけ

るような輩を紳士とも長老とも思わない、相手が高名な学者であっても、間違っていることを正しいと、心にもないお世辞の言うような

未開人は英国にいても日本にはいない」と大声で怒鳴り返した。

 しかし、ディキンス卿はひとかどの人物であった。一人になって冷静に熊楠の言ったことを振り返った、尽く正しかった。

おそらく文法的には完璧であったのだろうが、熊楠の指摘は、「ながれるような美しい日本文・奥底に流れるもののあわれやはかなさ」

こういった内容の英文表現に熊楠の良しとしない点にあったのだろうと想像している。

「ミナカタは、予が見る日本人のなかで最も博学で剛直無偏の人。」 ディキンズは熊楠をそう称えて、我が身の無礼を詫びた。 

  その後、深い親交が結ばれ、「方丈記」などの英訳を共著している。(この共著については、ほとんどが南方の訳であったが、

出版された時、訳者はディキンスとなり、南方熊楠の名は記されていなかった、熊楠はそういうこともあろうと予防線を張っていた、


手記に「小生かねて万一に備うるため,本文中ちょっと目につかぬ所に小生がこの訳の主要なる作者たることを明記しておきたるを,


果たしてちょっとちょっと気づかずそのまま出したゆえ小生の原訳たることが少しも損ぜられずにおる。」熊楠が主訳者であった


ことが明るみになったそうである。




熊楠・ディキンズ訳
 
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。


 Of the flowing river the flood ever changeth, on the still pool the foam gathering, stayeth not.

 Such too is the lot of men and of the dwellings of men in this world of ours.


方丈記は、夏目漱石や、外国人によって英訳されているが、例えば漱石の訳は、難しい単語が多く硬い感じがする。

熊楠の訳は、上記のようにやさしい単語で、流れるようにすらすらと読める。



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