南方熊楠 その2   昭和天皇と熊楠


神島について

 

 紀州田辺湾に浮かぶ神島(かしま)は、面積3ha 高さ30m足らずの小島である。


樹木が鬱蒼と茂り、岩礁や砂浜も見られる。国の特別天然記念物に指定されている。


気候も温暖なので、熱帯・亜熱帯系生物が多く観られる。熱帯・亜熱帯の北限種も多い。


 名のとおり神の島として、人は立ち入るのを控え、原始のまま保存されている


その為、生態環境が保存され、独特で多種多様な生物相をなし、学術的に


貴重な島となっている。新種も多く発見されている。


熊楠はこの島について「昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 eco-logy を、


熊野で見るべき非常に好模範島」と称している。


生物学者である昭和天皇もこの島に興味を持たれ探索を希望されていた。


昭和天皇と南方熊楠  熊楠が神島をご案内


 当時皇太子時代の昭和天皇が研究されていた粘菌について、世界の粘菌研究第一人者


英国のグエルマ・リスターの論文に、熊楠の成果が紹介され、一流の分類学者と称讃し、


熊楠から送られてきたサンプルの中にあった新種Minakatela longfila と命名したこと


などが目に止まっていた。


また当時世界で最高の権威を誇る英国の科学論文誌 Nature(現在においても Nature に載る


ことは世界の学会で論文が認められた証しであり名誉なことであるが募集した懸賞論文


「星宿構成」を一か月足らずで「東洋の星座」と題して書き上げ応募した、世界各国の天文学者


達の論文を抑え、見事最優秀賞に選出され1893年(明治26年)10月号に掲載さた。


これを欧米の有名新聞が一斉に大きく取り上げ、一躍博識の東洋の学者として世界中に名轟かせた。


これが日本人として最初にNature に載せた偉業であった。


その後も計51回掲載されている、これは個人として未だ破られていない回数記録である。


陛下は、Nature も愛読されており、熊楠の論文をご覧になっていた。

 皇太子時代から、「日本にこのような生物学者がいたのか、会ってみたいと」


側近に話されていたそうで、昭和4年6月希望が実現された。(時に陛下28歳 熊楠61歳)

  お召艦戦艦長門で紀州田辺に来られ、はしけで熊楠の待つ神島に上陸された。


陛下は、神島で海洋生物や粘菌を特に粘菌を観察することに期待されていたそうで、


結局粘菌は見られかった。


  この時同行の旧制田辺中学校生物学の先生が両手に粘菌のいそうな落ち葉を一杯抱えて、


先生は「鳥目」(暗い場所では目が見えにくい症状)であった、森を抜け明るい場所


に出て確認するつもりであったが、途中陛下にお会いし、「粘菌があるのか」と


問いかけられたそうで、発見されなかったので、がっかりされたと伝わっている。


これは田辺高校に在校中先生から授業中に聞いた話である。


 

 陛下は熊楠の案内で神島の森や海岸をご観察散策された。話しがはずみ帰艦の時間が


大幅に伸びた、長門が催促の空砲を打ったと聞いている。


長門に戻り、艦内で粘菌や海中生物について御進講し、


陛下はたいへん御熱心に聴かれ、また御下問された。 陛下の希望により5分間延長された。


 この時、陛下に献上した菌類のサンプル110種はキャラメルの大箱に収められていた。


常識的には上質の桐箱・絹布に包むのであろうが、これには周りの方々が驚愕した。


110種については、熊楠が考えに考えぬい抜いて選んだサンプルで、中身であり、容器など


眼中になかったのであろう。私は熊楠の常識にとらわれないスケールの大きさを感じている。


当件について、後ほどお付きの方が「あの時陛下も驚かれた、しかし大変お喜びになった」と


また「陛下にとっては南方熊楠と過ごした時間は至福のひと時であったのだろう」と語られたそうである。



 もう一つ艦内の御進行時の逸話がある。


  あるキノコの標本を示し、「これさえ飲ませれば、どんな女性でも思いのままになる」と


申し上げたところ、「陛下はにわかに両手を机の上に置いて、机の匂いを嗅ぎはじめた」


と熊楠は語ったそうだが、お付きの方の話では、「一流の学者の講義を笑ってはいけない


と配慮され、一生懸命笑いをこらえた姿がこのようなしぐさとなった」のが真相であった。


 私は陛下の礼節と人格・やさしさを感じている。


陛下に大笑いさせた人は稀なそうである。


 後ほど、この話が伝わり、ある種の団体・階層の人達が「陛下に猥談をするとはけしからん」


とお怒りになったと聞いている。


 

 南方熊楠の進講に反対した人々


 皇室では、無位無官の者の進講は前例がなく秘密裡の内に進めていたが、その噂は広まり、


和歌山県知事や警察関係、ある種の関係者等は、何の肩書もない一個人がしかも


奇人・変人と言われている者がご進講して、失礼があってはならないと反対をとなえ、


実現が危ぶまれた。


しかし陛下の「南方に会いたい」との強い意思表示により実現の運びとなった。、




 進講の場に立会った野口侍従の追懐


「かねて、奇人・変人と聞いていたので、御相手ぶりもいかがと案ずる向もあったが、それは全く


杞憂で礼儀正しく、態度も慇懃(いんぎん)であり、さすが外国生活もして来られたジェントル


マンでありまた日本人らしく皇室に対する敬虔(けいけん)の念ももっておられた」


とお褒めの言葉をもって追懐されている。





                                 
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