南方熊楠その3 異常な記憶力と集中力・実行力 

 脳の深部「海馬・側頭葉」の病変 の一種「感覚・辺縁系過剰結合症候群(ゲシュヴィント症候群)」 の現れと言わざるを得ない。

 一度目にしたものは脳に焼き付かせ、忘れることなく記憶することが出来た。この件は次回 南方熊楠その4 で述べる予定。


 8歳の小学校の頃、友人の家にあった全105巻81冊の大百科事典「和漢三才図会(大阪の医師寺島良安が30年かけ1712年完成、

正確な当時の医術も多く記されている)を友人宅に通っては読み、ことごとく記憶して、自宅に戻って書き写すというやり方で、

3年をかけ全てを筆写した。漢文も読めたのであろう、

当書は漢文形式で書かれ、挿絵・地図等の図入りの百科事典で、熊楠は図や表も極めて正確に写してあった、文書はともかくパターンの認識・記憶

力にもただ驚嘆するばかりである。

 

 その後、中学校時代には、後同様な手法で膨大な「本草綱目(中国で編纂された動植物・鉱物図鑑)」や「大和本草(1709年貝原益軒

編纂の植物図鑑で、薬用植物、農産物、雑草を含めた一般植物、動物、鉱物等の百科事典)」を正確に写本している。更にこの時代に、

博物学や解剖学、人類学の英書を原書で読み耽った。これらすべて暗記し頭に入いってていたそうである。

また、漢文で書かれた膨大な一切経全巻を読破し、その後も梵語(サンスクリット語)で書かれたものも読破したそうである、

 

 私は、熊楠の天才をはるかに凌ぐ尋常でない記憶力はある程度肯定できるものの、小学校中学年から初め、数年かけて一つの膨大な

書物を筆写する持続的な集中力と実行力は私の理解を超えている。

 

 明治26年9月、風采の上がらない日本人青年が奇妙な紹介状を携えて、大英博物館の考古学・民族学部長、そして後に博物館長となる英国

学士会の長老オーラストン・フランクス卿のもとに現れた。フランクス卿は熊楠の知識・見識を高く評価し、大英博物館での常時資料閲覧を

許可し、時には同館フランクス 卿の助手として、東洋の仏像や仏具の整理を手伝ったりした。

大英博物館には毎日のように通って、収蔵されている古今東西の容易には見られない珍しい書物を読みふけり、主として考古学、人類学、民俗学、

宗教学、旅行記などを多くの分野を読破した。読んだ書物は分厚いノートに筆写した。このノート類が「ロンドン抜書(ぬきがき)(後述)

である。

 学術論文も各国の言語でその国の学者と同等に論文を交わしている。実に18ヶ国を自由に操ったと言われている。

外国に滞在中、各国の辞書と文章を暗記して、どの様に使うかは居酒屋へ行って会話を聞き自分も参加してスピーキングとヒアリングを習得した。

 熱心に大英博物館に通う傍ら、東洋部図書部長のロバート・ダグラス卿を助けて、日本書籍や漢籍の目録作りに没頭した。ダグラス卿は

熊楠の実力を認めて正規の館員に推薦したが、熊楠は「(雇われ)人となれば自在ならず、自在なれば(雇われ)人とならず」、自分は勝手千万な

男でありますゆえ、と辞退し、無官薄給の「嘱託」の地位をもとめた。ここで「英博物館日本書籍目録」、「大英博物館漢籍目録」の編纂に

尽力した。これには、幼少のころから東洋の古典や百科事典、教文に親しみ、厖大な数の書籍を読み写したことによって、蓄えられた知識・

見識が役立ったことであろう。

「東洋の思想・芸術について正しく英語に翻訳できる人材は日本人の南方をおいて他にない」と大英博物館で高い評価を得られるに至った。

当時世界で最高の権威を誇る科学誌「ネイチュア」が、「星宿構成をテーマ」に論文を募集している事を知り、一か月足らずで「東洋の星座」を

書きあげ応募した所、世界各国の天文学者や大学教授達の論文を抑えて、見事最優秀の誉に輝き、1893年10月5日号に掲載された。

関係学者や報道関係者を驚愕させ、その批評がタイムズその他の有名新聞紙上に大きく取り上げられた。

貧しく学歴もない異邦の青年ミナカタの名が、一躍世界中に知れ渡った。

これを誰よりも喜んでくれたのが、フランクス卿だった。

熊楠を自宅に呼び、豪華な祝宴を開いた。この時の熊楠は非常に感激して、後にこう書きとめている。

「英国学士会の耆宿(長老)にして、諸大学の大博士号をもつ70ちかい大富豪の老貴族が、どこの生まれともわからぬ、学歴も資金もない、

まるで孤児院出の小僧のごとき当時26歳の小生を、かくまで好遇されるとは全く異例のことで、小生、今日はじめて学問の尊さを知ると思い候」。

これがネイチャー誌に載った初めての日本人であった。

その後「ネイチュア誌」に投稿を続け、計51回掲載された。これは個人として未だ破られていない回数記録である。これにより博識の学者

として熊楠の名は世界中に鳴り響いていった。残念なことに日本においては、評価どころか、全く相手にされず無視された状態であった。

ただ、高く評価した日本もいた。生物学者として世界的視野に立っていた昭和天皇や柳田国男その他極少数の学者達であった。

 私は、当時(1993年明治26年)日本の学会や学者達は「Nature」に載ることの意味を理解していなかったのか、熊楠を意識的に無視或いは

排除していたのか分からない、ただ当時の植物学の最高権威者と称されていた方が熊楠を嫌い認めようとしなかった事実があったようである。

現在においても、ネイチャー誌は、世界一流の科学論文誌としての権威は保たれており、掲載されることは難関であって、世界的に優れた学術論文

の証であり、名誉なことである。研究成果をまず「Nature」に発表することを目標としている学者や研究者が多い。

 

ロンドン抜書(18951900)

 南方熊楠が巨大な博識と幅広い文明観を持つに至ったのは、実に年の年月を費し、全52巻におよぶこの抜書きの作業を通してのことであった。

熊楠が抜書の最初のページに筆を下ろしたのは、189552日のことであった。満27才、アメリカ放浪を終えてロンドンに到着してから、2年半が

経過していた。若き日の熊楠はこの作業を完成させるために自らの情熱のありったけをかけた。ロンドン抜書は南方熊楠という思想家が誕生する

すべての過程を閉じ籠めた記録である。毎日、5時間から7時間大英博物館で過ごしており、その時間の多くが抜書きに費やされたと思われる。

ロンドン抜書は異邦にあった熊楠が自分が成し遂げるべき「大事」として構想されたものであった、主に英・仏・独語で書かれた民俗学・博物学・

旅行記の筆写からなっている、世界各地を旅行した研究者や現地での観察者、冒険家たちの旅行記による地誌等が世界を網羅する形で取り入れられ

ており、世界の民俗風習の大事典となっている。

このノート類は52冊1万ページにも及び、英・仏・独・伊・スペイン・ポルトガル・ギリシャ・ラテンなどを駆使し、細かい字でぎっしりと埋めら

れている。「ロンドン抜書(ぬきがき)」として、原本はほぼ全冊南方熊楠顕彰館邸に保存されている。

 

田辺抜書

 明治37(1904)10月から田辺に定住後、熊楠は戸外での植物採集や調査、執筆、そして明治42年からは神社合祀の反対運動に取り組むが、

家にあっては筆録を怠らず、「田辺抜書」と題する筆記帳にたえず毛筆で筆写を続けており、明治44年から田辺の法輪寺の「一切経」を借用して

通覧し、その中から彼の学門に必要と思われる部分の索引を作り始め、それが大正2(1913)に完成している。法輪寺に伝わる一切経は全巻

揃っており寺宝である、この時、和尚は紛失を極度に恐れていたと親しい人々に漏らしていたそうである。

これが終わると、つぎには「アラビアン・ナイト」の索引作りを始めるといった具合である。

「田辺抜書」は和紙の罫紙の一行に、二行ずつ米粒大の細字で書かれたもので、晩年まで続けられ、35字詰2040頁のノートが61冊に上る。

( 南方熊楠顕彰館蔵)



 田辺高校時代に先生からお聞きした話は沢山ある。

1.田辺のある方が、大英博物館の図書室で調べ物をしていた。館長が来て、「日本人か?」「はい、そうです」「どこの出身か?」

 「紀州田辺です」「おお南方熊楠の地かと、熊楠を褒めたたえ」熊楠について話に花が咲いた、

 その方は大変な誇りを感じたと語ったそうである。その館長は多分大英博物館」東洋部図書部長ダグラス卿ではなかったかと思っている。

2.大英博物館図書館に通い始めたころ、館長が(フランクス卿かダグラス卿か不明であるが)、熊楠に

「そのような本は君のような読み方をすべきではない。もっと丁寧に一字一句を理解し、頭に入れながら読むべきである。」とたしなめた。

 熊楠は「すべて理解して頭に入っている」と応えたそうで、「それならこの件はどの文献に載っているか」と問いただしたところ、熊楠は

 即座に「文献の名を挙げ、第何巻の何ページのどの部分にどんな内容で載っている」と応え、調べてたところその通りであった。官長は驚愕し

 て只者ではないとつぶやいたそうである。 

3.同じような話をもう一題、高野山の官長と一切経について論じている時、熊楠は「こういうエロチックな事が載っている」と話したところ

  官長は「そんなことは載っていない」と応酬した。「それなら第何巻のどの場所を開いてみよ」と、調べたところ、熊楠の言うとおりで

  あった。これには官長は仰天したとか。

 

                    次回 南方熊楠その4 異常な記憶力と集中力・実行力の謎 


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