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井戸から人魂が現れ屋敷をころげまわる  昔の話その2

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昔は、一族一党の結びつきは強く、お互い支え合い・助け合って生きていた。更に昔に遡るほどもっと密であっただろう。仕事も世襲で一族一党皆同じで、近親結婚も多かった。

 幕末期、祖先が婿養子に行って、その先で事業に大成功をおさめ財をなした。
屋号で呼ばれ、よく知られた家となった。しかし、私家から婿養子に行ったということで、正月には、代々先方さまから挨拶に訪れる習わしが長く続いていた。

 私が中学生の頃だったか、先方のご主人が挨拶に来たとき、父親と「我々の代でこのような習慣を終わりにしよう」と話し合っているのを耳にした。
親族の付き合いの深かった例である。

 ところで、昭和初期、私の祖父が早死にしたため、18歳の父を先頭に5人子供を抱えて困窮状態になっていた。
そのような折、土地と金を出し合って、家に面した小路を海岸まで広い真っ直ぐな道に改修する話が町内で決まった。

公共的な予算もなく、ほとんど費用は自己負担であった。当時住んでいた家の道拡張対象部分の間口は広く、現在道の対面に建てられている家の6軒分ほどあった。その費用は大変な額になったので困っていた。その話を聞いた先ほどの婿養子先が、全額をポント出してくれたそうである。一族一党の助け合いであった。

 その時、道に提供した場所に井戸があった。井戸を埋めると一家が滅びるという言い伝えがあり、結局埋めずに蓋をかぶせて道の下に残した。水道工事等で道が掘られる度に蓋があけられ、深い井戸が現れたことを記憶している。砂利道であったが、昭和30年代に舗装工事がなされ、その際埋めることになり、全く気にしない時代になっていたが、一応神主様を呼び、近親とともに簡単なお祓いをしたと聞いている。


 逆の同じような話がある。私宅は、私の祖父が亡くなるまでは、非常に羽振りがよかった。

近親が破産して家屋敷をすべてなくしてしまった。その時、当時私家は離れに住んでいたが、これより広い母屋側を与えている、白壁の土蔵付である。やはり一族一党の助け合いである。

母屋側を与えた理由は、母屋のある屋敷には、古い井戸があり、つるべが付いていて、飲料水や庭の水まき、冷蔵庫代わりに使われていが、そこから火の玉(人魂)が出て屋敷を這い廻るという言い伝えがあった。祖先も気にしていて、それをきらって離れを建てそこで暮らしていたようで、そのような理由で本屋敷の方を与えたのであった。
多分先祖が井戸に落ちて非業の死を遂げたか、飛び込み自殺でもはかったのかもしれない。

そのような不幸があったとき、きまって夕顔が絢爛と咲いていたそうで、わが家では、夕顔を植えると不幸が起きると伝えられ、代々植えることはなかった。私の代からは、そんなことをなくしている。

 ところで、この与えられた家の代目が「竜神山の池の鯉」の当人で、そんな話を聞けば特に気にするお方である。この火の玉の話は知らないことになっているが、しかし私が知っているくらいなので、知らないことはなかろう。