ホームページへ  タイトル目次へ

旅先で感じたこと

カタルーニャ地方とサルダーナ

 スペイン東部バルセロナ付近には多くのカタルーニャ人が暮らしている。
 サルダーナはカタルーニャ人の民族舞踊である。 

老人たちも

若者たちも

 多くのカタルーニャの人々が毎日曜日にバルセロナ市ノーバ広場のカテドラル前に集まって民族舞踊サルダーナを楽しんでいる。生演奏の楽団が組まれ、大変なにぎわいである。中学生や高校生の集団も含め、老若男女10人から20人くらいで環をつくり、広場一杯に陣取っている。皆さん環の中に持物を置いて踊っている。

   大変気品の高い優雅な踊りである。人々は寛大で一緒に踊りませんかと誘ってくれる、私のワイフは参加しようと見よう見まねで練習を行っている、このようなことには割と勘がいい方だと思っていたが、簡単そうに見えても難しいようでとうとうあきらめてしまった。カタルーニャの人々は幼少の頃から体で習得しているのであろう。このような光景は長い伝統として、1000年以上も受け継がれて現代に至っているのである。

   考えてみると、この地方にはカタルーニャ語を話す独特の文化をもった誇り高い人々が住んでいる。スペイン内戦を統一したフランコによって、公的場所でのカタルーニャ語は禁止、学校教育ではスペイン語を強制されるなど抑圧を受けていた、カタルーニャ語を話せない若い世代の人々が現れてきたそうであった、しかし
1970年代後半に政権が代わり、子供達は学校で勉強することも可能になった。

   このように毎週欠かさず地方からも集まってきて、多くの人々が民族舞踊を踊ることで、自分たち民族の団結と文化を守ろうとする情熱・願望の一つの現れであろう。単一の大和民族では考えられないことである。せいぜい盆踊りや年一回の祭りに集まる程度であろう、我々日本人の尺度では測り知れない強いものを感じた。




そういえば、唯一絶対神ヤファエをあがめ、アブラハムの子孫として、
 ユダヤ教の教えを心のささえとして、世界的な規模で離散していたが、長期間にわたる複数民族の強い団結と情熱により20世紀半ばに建国を果たしたユダヤの民の例もある。統一国家、離散を繰り返していたが、約2千年前に  ローマとのユダヤ戦争によりエルサレムは陥落、アサダの壮烈な陥落により、ローマ帝国に滅ぼされ以来2千年にわたる民族離散・迫害・流浪の旅が始まった。

   仕事の関係で、ユダヤの人々とブユツフェ形式の夕食会で一緒になったことがあった、戒律の対象となる食物には絶対に手をつけない、スタッフは食材に大変気を使ったと言っていた。国際航空機にユダヤの人々が10人ほどの団体で乗っていた、機内食が出された時、どんな食材が使われているかCAに質問していた、CAも心得たもので「No Meat」と即座に答えていた。

  現在に至っても戒律を厳しく守っている、これは神ヤファエとの約束であり
神との約束を守ることにより、神も約束を守る。日本の大乗仏教のように「南無阿弥陀仏」と唱え仏に帰依すれば救われるとは大きく異なっている。これは旧約聖書を読んで感じたことであるが、ユダヤ教は神との契約で成り立っており、民が契約(約束)を破ると神は罰として試練を与え、反省して再び神との約束を守るようになれば、神も約束を守る、これの繰り返しである。ダビデ王やソロモン王のような指導者があらわれ、統一・繁栄した時も神が約束した契約の結果であり、崩壊した時も民が神との契約を守らなくなって神が罰した結果である。

 1948年にイスラエルが建国された時、イエーメンに2000年間住み
着いていた4万人のユダヤの民が特別な理由で離れられない約1000人を除いて、今住んでいる家・土地・財産をすべて捨てエルサレムに帰るべく当時の南イエーメンの首都アデンに向かって移動し始めた。イスラエル政府は大型機をチャーターして対応に当たった。人々は何のためらいもなく乗機した。2000年間にわたりずっと神との約束を待ち続けていたのであった、ヤファエがイスラエルを再び建国し、大鳥を仕立てて迎えに来ると。20世紀半ばのよく知られた事実である。

 しかし1000年以上にわたりその地に住み着き平和に暮らしていたパレスチナの民と激しい衝突が起こる結果となっている。


  以上 2010年12月1日

   ホームページへ
 タイトル目次へ   このページのトップへ