能面の華といわれ、女面のながで一番若い10代の乙女である。

これぼど完成度が高く整った美しい面は他にない。

 入門用として採用されることも多い。理由として、@作るのに手数が少ないこと、A毛書がないこと(3本の毛筋は塗りつぶした黒髪を刃物で剥いで描く、慣れないうちは筆で書くより容易である)、B良く知られていること。しかし実は極めて難しい、難易度は最高クラスである。その人の腕なりのものが出来るということであろう。

 「小面に始まり小面に終わる」と言われるゆえんである。

創作能面 阿修羅

私は天平仏像のファンである。その一つ阿修羅像を能面化してみよう と試みた。

 

  特に難しかったのは、能面化するため、高さを24センチメートル以内に収めたい、

頭髪・結髪の部分を縮めねければならない、そうすると顔がづんぐりとした感じになった、

少しスリムに修正をする。原型の側面と耳は、三面像で見事な調和がとれている、

この部分も能面用に修正しなければならない。とにかく原型からさわればさわるほど
だんだんおかしくなってしまう。


  ご覧のようにほど遠い出来である。


 私のスキルでは 、このような仏像をモデルとすることはまず無理であるということはよく

分かっている、しかし再度試みるつもりである。改良点として、今回のはややスリムで

青年のようになってしまったが、原型はもっとふっくらとしていてもっともっと少年のような

お顔である。このような点を考慮すれば少しは良くなるであろう。

                                           

能面展示  創作能面 仁王 2012年11月1日更新
 
能面打ちを趣味の一つとして楽しんでいる。素人であるので少々出過ぎではないかと思うが一応
能面展示室 のページを設置し、展示数をふやしてゆこうと思っている。

能面展示 小面

能面展示 福の神(狂言面)

 神社に二人の信者が年籠りのためお参りにきた、夜が更けて豆まきを始めたころ社の奥から、高笑いをしながら福の神が現れ、二人と酒を交わしながら福を得るためにどうしたらよいかを説く、最後に御神酒の供えを絶やさないようにと言いつけ去ってゆく。通常神が人と会話を交わすことましてや一杯飲むということはありえない。狂言独特の面白さをよく醸し出している。

 本来、神は姿形が存在しない、霊である。神像を創り祀ることはしなかった。
平安時代に多くの仏像が作られるようになり、その影響のもと、神像も創られるようになった。ほとんどの顔は苦り切っていて、威厳と神秘を漂わせている。
能や狂言では、人くさく笑っている面が多い。

小面

 おそらく古墳時代以前から里には鳥居や神社が建てられていて神を信仰していたと思われる。

集落には決まって鎮守の森があり、社には八百万(やおよろず)の産土神が祀られている。

 人々は色々なイベントの都度、神に報告、お願い、感謝をこめる、或いはお怒りにならないように

とお参りをしていた。

これが神道の原型であろう。

神道においては、神は形がないもので、従って人前には姿を現さない。魂あるいは霊なのである。 

大規模な有名神社においても、主神ははっきりしているが、形として存在しない。

仏教に相当するような、本尊の仏像が存在しないということである。

 「翁」の面は非常に不思議である、里人が鎮守の森の社に集まり、神に感謝をしながら

お祝いの行事を行っているとき、形ある神として現れ、人々に祝福をおくる。

奈良時代初期からこのような形の面を使い演じられたと言われている、渡来したのであろうが

そのルーツは不明である、渡来はもっと古い時代かもしれない。

 能楽に取入れられているが、呪文のような出だし「トウトウタラリタラリラ」から初まる、トウトウは多い

という意味で、タラリには多楽里の漢字を当てはめ、楽しみの多い里であれという意味であると聞いた

ことがある。

能楽の原点であると言われている。

能面展示 翁(白式尉)

以上2011年2月1日

    2011年3月1日

創作能面 雷神

 俵屋宗達の風神雷神図をみていると、緊張感といい迫力といい満点である、しかし何か
ユーモラスなところもある。
 このまま能面に写するのは難しい。色々資料を調べ、スケッチを試み出来上がったのが
写真のとおりである。ペアーで風神も創りたいがこれはなかなか難しい、通常風袋を背負って
いるが、これを能面で表現するいい方法が浮かばない。いいアイデアが湧けば創るつもりである。
 雷神は、頭髪・口髭・眉毛が雷の静電気で逆上がっている様子で表現したつもりである。
特に口髭・眉毛は真鍮板で作り鋭く角を立てた。このような表現は今まで見たことがなく初めてで
あろうと喜んでいたところ、奈良興福寺の国宝慶派の龍燈鬼の眉毛が同じような形の金属板
で表現されていることを発見し既に約800年前に出来ていたのかと恐れ入ったしだいである。
探せば口髭にも同様な表現が過去にも多分あるだろう。しかし私自身は独自でで考えたことで、
能面に応用は初めてであろうと思っている。
 迫力を出そうと目玉も真鍮板で作り、瞳の周りは銅版で作り接着剤で貼り付けた。
友人からそのような生の銅版を使うとすぐに青く変色するだろうと評を受けたが、自然に青くなれば
益々よくなるだろうと思っている。
 長さ24センチメートルに収めた、その為頭髪に若干の迫力欠けが生じている、もう一工夫が
必要であろう。

武悪

能面展示 武悪(狂言面)

 インドから伝わったとかインド人をモデルにしているとかいった説がある。
2011年3月初めにインド旅行をしていた。言語は英語と思っていたが。地域によっては、
案内や看板はヒンズー文字で書かれており、英字はほとんど使われていない、言葉も
ヒンズー語で英語は通じない。島国の日本と違って国土は広大で、北側は文化も異なる
複数の国と接し、過去には様々な人種の出入りもあった。顔つきや肌色に特徴が残されて
いる地域もあった。人種、民族、風俗習慣、生活様式、宗教も多様な国である。
すぐれたインダス・ガンジス文明から始まった長い歴史を持ち、世界遺産も数多く有している。
世界遺産には専門の説明員がいて、日本人相手には日本語の話せる案内人が当たっている。
一目見て、どこかでお会いしたような気がした、なんだか親しみのよなものを感じた。
一体何だろう、しばらく考えていた。そうだ私の打った武悪面だ。思わず写真を撮らせて頂いた。
どこの部族の方だろうか。武悪面がインドから伝わったとなると、その地方の特徴的な顔つきや
イメージがモデルとなっているであろう。日本の若い女性をモデルとした能面「小面」のように。
 武悪のインド渡来説は正しいように思った。

インド旅行の感想はいずれ「スローライフのつぶやき」で報告するとして、
急遽予定にあげていなかった狂言面「武悪」を載せることにした。

 武悪の悪は現代の悪いという意味でなく、霊気漂うとか力強いという意味である。
伎楽面のような感じを持つ面である。
 狂言では、鬼や閻魔を演じるが、鬼、閻魔という怖いイメージではなく、おひとよしで
ユーモラスで、親しみが湧く内容である。面としては、色々な形のものがあり、形が定
まっていない。したがって打つ時は、写し以外なら一瞥して武悪と分れば自由に好きな
形や仕上げをすれば良と思う。
写真の面は、形としては最も標準的な武悪で、彩色の黒い部分はすべて傷彩色で仕上た。

インド世界遺産説明員の方
 武悪のモデル?

よく解る日本語で、親切・熱心に説明をして頂いた。
自国のインド文化に誇りを持っておられる温和な見識者であった。

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創作能面 雷神

小面

創作能面 阿修羅

創作能面 仁王(金剛力士)

東大寺南大門の金剛力士像の写真を見たり、その他資料を集めた。
東京に行った折、浅草寺宝蔵門の仁王さまや東門の二天さまを拝観した。

 東大寺南大門のを写してやろうかと思ったが、あれはよく知られた傑出した作品で、強い躍動感と深い精神性を持ち合わせている。運慶さまと比較されては、たまったものではない。運慶さまの域には及びもつかない。
間違いなく出来損ないとなり、「なんじゃこれは」ということになるだろう。
興福寺阿修羅像を写し、能面化した時に懲りた経験がある(創作能面阿修羅の項を参照)

 そのようなことを考えながら、自分流にスケッチをして、形を決めた。


 ただ形や表情がどうも気に入らない。これはこのままにしておいて、第二作目で頑張ろう。

 

 仁王さまを能面化してみようと思い立った。

使用木材 桐
 縦235 幅170 厚100 mm
 
  そんな訳で、このような場所で公開できるような代物ではないが、第二作目ができたときに、
比較して頂こうと思っている。

 二作目は新規出直しで、スケッチがら始めた。

 この種の創作面を創る場合は、粘土で原型を作ってからにした方が早道のような気がしている。

                
                            

二作目製作記 粘土で原型を作る


第二作目 青仁王

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福の神

二作目創作青仁王製作記 

武悪はインドから伝わったとかインド人をモデルにしているとかいった説がある。
創作能面 赤城姫
赤城姫の物語 赤城姫を打とう(型紙等)

雷神を打とう(型紙等)

創作能面 降三世明王