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前橋市 岩神稲荷神社のご神体「飛び石」  2016年3月 追加更新


前橋市昭和町岩神稲荷神社のご神体である。高さ10m周囲60mさらに地下にも同等な

塊が埋もれていると言われている。

 平地に突如このような巨岩が転がっているので、昔の人々は大変不思議に思っただろう

巨岩・巨石や巨木も対象となる日本人のアニミズム信仰の心を揺すぶったに違いない。

 「赤城山の伝承による赤城姫の物語」のブログで赤城山から飛来したと記したが、

火口から20km離れた地にこのような巨石が飛んでくるはずがない。

赤城山の火口付近でできた溶岩の塊とうい説と浅間山の溶岩のであるという二説がある。

つまり 1.赤城山溶岩説 2.浅間山溶岩説

本気で調べればすぐに決着がつくであろうが、現時点ではこの二説が併記されている。

私は、一瞥して浅間山説を採りたいが、類似岩石が赤城山にも見られるそうで一度見に

行きたいと思っている。同種の巨岩は県内に4箇所ほどあると聞いている。

両説の理解を助けるめに、前橋市の火山による地形・地質について若干の解説をしておく。


 前橋市にある群馬県庁舎32階(地上127m)に360度見渡せる無料展望ホールがある。

ここから眺めると前橋市の地形がよく分る。赤城山は圧倒的な存在である。明らかに前橋市

は赤城山の裾野の上にある、火口から20kmの位置にある。決定的な影響を与えたのは

10数万年の山体崩壊であろう、この時の堆積物が現在の裾野の基本を形成したと考えら

れる。

榛名山も真近かに迫っている、榛名山の火口からも20kmくらいの距離である、榛名山の

噴出物も強い影響を与えていいるだろう。

両山の巨大噴火は10数万年に終わっているが、現在も活発に活動しているのが浅間山で

ある、火口からは45kmくらいであるが、最近といっても2万数千年前の大噴火はやはり

前橋市の地形に大きな影響を与えた、この時の泥流は前橋市に厚く堆積しており

「前橋泥流」と呼ばれている。

このように前橋市の地形・地質はこれら三火山の強い影響を受けている。

以上の前置きを基に「飛び石」の成因二説について解説をすると。

 1.赤城山溶岩説 

   岩神飛び石は10数万年前の赤城山成層火山形成期に火口付近に噴出した溶岩が固

   まった塊で、同山の黒桧山溶岩や利平茶屋溶岩に類似していると言われている。

   その時の赤城山は富士山のような円錐型火山であり、裾野の広さから推移速して

   おそらく標高3,000m以上であっただろう、時を同じくして円錐型火山の宿命として

   巨大な山体崩壊があり、その時この飛び石はの泥流で渋川市付近まで押し流された

   と考えられる。

   それから時を経る事10万年、今から2万3〜4万年前に今度は浅間山の大噴火が

   あり、その時の泥流は我妻川を下り渋川市で利根川と合流し一気に前橋市を飲み込

   んだ、この時厚く積もった堆積物が前述の「前橋泥流」である。この泥流が渋川市

   にあった「飛び石」を前橋の岩神神社の800m上流まで押し流し、その後巨大洪水に

   より現在の位置まで流され納まったというのが赤城山溶岩説である。

 2.浅間山説

   もともと浅間山の溶岩の塊であったが、2万3〜4万年前の巨大噴火時に発生した

   泥流が「前橋泥流」となり、石神神社付近に押し流したという説。


どちらが正しいかは、石神飛び石と浅間・赤城の岩石をを詳しく分析すれば決着すること

であろう。結論を知りたく思っている。

 

2016年3月 追加・更新  同年3月16日 朝日新聞 群馬 に下記記事が掲載された。 

「国天然記念物「飛石」実は浅間山から」 前橋・岩神稲荷神社

   記事の要約は 1938年に国が天然記念物に指定する際「10万年以上前の赤城山噴火で形成
  された火山岩」とされた。しかし2008年ごろから、浅間山由来説がではじめた。
  しかし、天然記念物であり、神社の御神体であるので、科学的な調査ができなかった。
  このたび文化庁や神社の許可を得て初めて岩の成分など科学的に調べた結果「浅間山の噴出物」
  と判明した。


 参考

 浅間山・赤城山・榛名山は、ユーラシアプレートと北米プレートの衝突面のU字型断層

 帯フッサマグナの東面側にできた火山群である。

  散歩の途中 神社の置石 非常に珍しい置石 日本列島とプレート  の項でその成因

 
について述べている。

   

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