最近、2017年10月に新聞やテレビで、スペイン カタルーニャ地方の独立気運が高まり、住民投票や具体的な
行動が顕著になり、スペイン政府による猛反対の圧力が詳しく報道されている。

 2010年12月に旅の想い出として下記のカタルーニヤ地方とサルダーナについてブログに載せたことを思い出した。

 この地方には 1000年以上の歴史を持つカタルーニャ人が住み、盛衰が繰り返されつつ今日に至っている、カタルーニャ語を話す独自の文化・伝統・習慣をもった誇り高い人々の独立国であった。

 1938年にスペイン内戦に勝利したフランコ将軍により制圧され、国家元首となったフランコ政権により、公的場所でのカタルーニャ語は禁止、学校教育ではスペイン語を強制されるなど抑圧を受けていた、カタルーニャ語を話せない若い世代の人々が現れてきたそうであった。
 1970年代後半にフランコによる独裁体制が終わり、政権が代わった。子供達は学校でカタルーニャ語を勉強することも可能になった。


 現在はカタリューナ自治州としてある程度の自治権も委譲されている、スペイン経済の25%を担う豊かな州である。しかし、独立の火は燻り続け、スペイン政府の悩みの種でもある。憲法に住民投票による意思決定を禁止しているのも、地方の独立を阻むためであろう。

 2017年10月州首相「ブチダモン」は住民投票をスペイン政府の猛反対のなか強行した、政府側の強力な阻止行動に阻まれ投票率は40%となったが90%が独立賛成を支持した、その結果を携え州議会に独立の議案提出した。
 
 国家憲法裁判所は、独立宣言のために開かれる予定だった州議会を憲法違反として差し止めを命じた。
しかし、州議会はこの命令を無視し独立を採択した。政府は、憲法違反の国民投票を強行したこと、投票率は40%で民意ではないとし、国家裁判所の判断に基づき、ブチダモン州首相とジュンケラス州副首相を「国家反乱罪」で拘束をする方針である。この罪は懲役30年の重刑である。さらに見せしめとして、州の自治権を現状より大きく制限する方向で検討している。政府がこのような処置をとれば、カタルーニャ人の反発に火を注ぎ益々独立運動に拍車が掛かることは確実で、その辺の落としどころを探って行くことになるだろう。

 スペインには、カタルーニャ州ともう一つ独自の言語・文化をもつ独立志向の強いバスク州があり、2州のバランスも考えなくてはならないし、バスク州への飛び火の懸念もあるだろう、政府側としも極めて頭の痛い問題であろう。これらの問題は、経済的な利権、党利党略、それに不十分な歴史の清算という厄介な問題が絡み、解決には時間がかかるだろう。

 現状はバスク州の方が自治権の範囲が広いそうであるが、これもカタリューニャの不満材料となっているようで妥協策として、両州を平等に更なる自治権例えば、税制・教育・予算・医療・福祉等の全面的な委譲等思い切った対策をとる必要があるだろう、政府は通貨・防衛・外交・等の国家のポリシー的な政策に限るくらいの覚悟が必要だろう。

 因みにEUは独立に反対を唱えている、これはカタルーニャが独立するとEUには所属しないと考えられているからであり、またスペインは一時EU離脱の動きがあったことは記憶に新しい、これをきっかけにEU離脱論が再燃しかねないと懸念しているからである。

 

カタルーニャ地方とサルダーナ

 スペイン東部バルセロナ付近には多くのカタルーニャ人が暮らしている。
 サルダーナはカタルーニャ人の民族舞踊である。 


                                               老人達も





                           若者達も

   


多くのカタルーニャの人々が毎日曜日にバルセロナ市ノーバ広場のカテドラル前に集まって民族舞踊サルダーナを楽しんでいる。生演奏の楽団が組まれ、大変なにぎわいである。中学生や高校生の集団も含め、老若男女10人から20人くらいで環をつくり、広場一杯に陣取っている。皆さん環の中に持物を置いて踊っている。

   大変気品の高い優雅な踊りである。人々は寛大で一緒に踊りませんかと誘ってくれる、私のワイフは参加しようと見よう見まねで練習を行っている、このようなことには割と勘がいい方だと思っていたが、簡単そうに見えても難しいようでとうとうあきらめてしまった。カタルーニャの人々は幼少の頃から体で習得しているのであろう。このような光景は長い伝統として、1000年以上も受け継がれて現代に至っているのである。

   考えてみると、この地方にはカタルーニャ語を話す独特の文化をもった誇り高い人々が住んでいる。スペイン内戦を統一したフランコによって、公的場所でのカタルーニャ語は禁止、学校教育ではスペイン語を強制されるなど抑圧を受けていた、カタルーニャ語を話せない若い世代の人々が現れてきたそうであった、しかし
1970年代後半に政権が代わり、子供達は学校で勉強することも可能になった。

   このように毎週欠かさず地方からも集まってきて、多くの人々が民族舞踊を踊ることで、自分たち民族の団結と文化を守ろうとする情熱・願望の一つの現れであろう。単一の大和民族では考えられないことである。せいぜい盆踊りや年一回の祭りに集まる程度であろう、我々日本人の尺度では測り知れない強いものを感じた。

 

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スペイン カタルーニャの独立運動について

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