新年を迎えて 早く来い来いお正月  

 

  幼少のころは「もういくつ寝るとお正月・・・早く 来い来いお正月」の童謡のように本当に待ちわびた。

近所の子供達が集まって、コマを回しを競ったり、自慢の自作のタコあげを競ったり、 楽しい日々であった。

家族での餅つきも楽しみにしていた。父が振り下ろすキネに合わせ、母がハイ・ハイと掛け声をかけながら

臼の中の餅を混ぜている、手が叩かれないのかとハラハラ見入っていた。

つきたてのもモチは大変おいしかったし、特にアンコロ餅は格別の味であった。当時これらは貴重品でそういつも食べられるものではなく、お正月の楽しみの一つでもあった。


  現代においては、このような正月の形態は存在しない。ただお年玉は楽しみなようで、それをあてにテレビゲームやスマホゲームのソフトを買うのが楽しみの一つとなっているようである。更に次の世代はどのようになっているのか想像もつかない。


  正月は縁起の悪い言葉や行動は大変に忌み嫌われている。私も小学生のころか「正月に葬式が出たらどうするのか」と質問して、父から厳しく叱られたことを思いだした。

室町時代一休和尚が杖の先に髑髏を仕込み、「門松(正月)は冥途への一理塚めでたくもありめでたくもなし」と唱えながら京都の町を練り歩いたとの言い伝えられている。

このとき一休和尚は追いかけられ石を投げられたこともあったと伝えられている。

この時代によくもこのようなことを実行したものだとあきれるとともに、なるほどそのとおりだと感心も

している。


 以前は、正月をもって歳が一つ繰り上がる仕組みだったので正月が来ると、ああもうこのような歳になった

のかと改めて驚いた年齢の方も多かったのであろう。

  今は私は、もう高齢者の仲間入りとなっている。

40過ぎれば、歳は加速するよう感じるといわれている。全くそのとうりと実感をしている。

「冥途への一里塚」を一つ一つ越え、加速しながら近づいているのは事実である。一休和尚の戒めのとおり、 一日一日を大切に生き、残りの人生を悔いのないよう充実した生き方をするよう心がけている。


  一里塚について

  街道に一里(約4km毎に道標として土を盛って作った塚。塚を辿って行けば目的地に到着できる。

今はほとんどは壊され、残っているのは僅かである、多くは地方の文化遺産として登録されている。

大きいものは大樹が植えられていて、旅人は木陰で一服したそうである。

一休和尚の一里塚は、植えられている木々は門松で、行く先は冥土である、そこに到達したときは髑髏となっているということである。一軒一軒の門松を一里塚に見立てたのである。




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